出典:https://twitter.com/Yasutomo_76/status/1137258159557316608
かつて巨人・西部・中日で活躍した、元プロ野球選手の鈴木康友選手。
実は、彼は血液の病気を患っていました。
これはいわゆる"難病"というやつで、治療はものすごく大変。余命宣告を受けるほどにもなっていました。
しかし2019年現在、
鈴木康友さんは妻に支えられながらも、何とかその病気を乗り越えることができました。
今回はそんな鈴木さんの闘病生活や、支えてくれた奥さんのプロフィールなどをまとめてみました。
現役時代の動画なども紹介していくので、ぜひ読んでいってください('ω')ノ
スポンサーリンク
目次
【動画あり】鈴木康友さんのプロ野球時代からコーチ時代までの経歴
【プロフィール】
- 名前➔鈴木 康友(すずき やすとも)
- 生年月日➔1959年7月6日(現在59歳)
- 身長➔180cm
- 体重➔84kg
- 出身➔奈良県五條市
- ドラフト➔5位(巨人)
- 初出場➔1980年4月15日
- 引退➔1992年10月11日
それでは、野球選手としての鈴木康友さんの経歴を見ていきましょう!
高校時代野球時代
高校時代は強打の大型遊撃手として知られ、2年生で四番を務めました。
高校野球では、そこまで目立った結果を残すことができませんでしたが、ドラフト会議で5位で読売ジャイアンツが指名。
高卒5位指名ながら、当時の長嶋監督が獲得のため、自宅まで出向いて口説き落とすなど、かなり注目の選手でした。
入団後は、背番号5番を渡されます。
プロ野球現役時代
奈良県五條市出身
元ジャイアンツ選手
鈴木康友さん pic.twitter.com/SSzN9NLPss— コミュニティマーガレット (@ofZGeipkCGAHL5o) 2019年6月9日

ドラフト5位・注目の選手として入団した鈴木選手ですが、最初は2軍での活動からスタートしました。
チームでの初顔合わせで長嶋監督に挨拶に行った際、他の選手と勘違いされたというエピソードが残っています。(笑)

その後プロ3年目、ついに一軍初出場を果たし、ショートを中心に内野手として活躍しました。
こちらが当時の試合の動画です。
鈴木康友選手は、2分10秒くらいから、送りバントを決めている様子が映っています。

その4年後には西武に移籍しましたが、出番はなく、すぐに中日に移動します。
セ・リーグ最多の35犠打を記録して遊撃手のレギュラーに定着。
セリーグ最多の35犠打を記録しました。
こちらが
当時鈴木選手はショートを守っていたんですが、
- 落合博光が登場し、サードにつく
- 元サードに選手がショートに移動
という形になり、レギュラーのポジションを奪われてしまいましたが、試合終盤の守備固めでチームを支え活躍しました。
そして、1992年で引退を迎えます。
スポンサーリンク
コーチ時代に病気が判明
現役を引退した後は、
- 主にベースコーチ・走塁コーチに就任
- ➔CS系テレビの野球解説者・日刊スポーツ野球評論家・茨城ゴールデンゴールズでコーチ
- ➔再び走塁コーチに
というように、幅広く活動をしました。
そしてとうとう2017年夏に体の異変に気が付き、闘病生活に入りました。
最初に気付いた異変は、ノック中の息切れだったそうです。

ちなみに鈴木康友さんは、2017年のときに徳島インディゴソックスというプロ独立リーグのコーチをしていました。
そのチームを年間総合優勝に導き、閉幕後にコメントをしているときの動画がこちらです。

スポンサーリンク
【血液のがん】鈴木康友の病気の名前は、骨髄異形成症候群
鈴木さんの病気の名前は「骨髄異形成症候群(こつずいいけいせいしょうこうぐん)」。
血液の難病で、別名を「血液のがん」とも呼ばれます。
赤血球や白血球などの成分の数がおかしくなってしまう病気です。
症状としては息切れや疲労感などがありますが、最悪の場合命が危なく、鈴木さんの場合は余命宣告をされていました。
2018年2月に骨髄異形形成症候群で臍帯(へそのお)血移植を受け、無事治療に成功しました。

ちなみにその移植手術では、赤ちゃんのへその緒から血液を移植したんですが、
それがきっかけで、血液型がOからAに変わったそうです。

鈴木康友の闘病を支えたのは家族!妻や子供はどんな人?
それでは、そんな康友さんのご家族についてみてきましょう。
長男の鈴木翔太さんは、高校野球でキャッチャーを務めた
鈴木翔太さんという息子がいます。
翔太さんは、小学高2年のときから野球を始め、中2からキャッチャーを務めるようになります。
高校に入って最初の夏にはひじを怪我しましたが、それをなんとか乗り越えて、地方大会のキャッチャーを任されるようになりました。
2006年、高校3年の夏、惜しくも勝ち上がることはできませんでしたが、翔太さんは高校卒業後も野球を続けるつもりだということを言っていたそうです。
ただ、現在はプロになっている様子はなく、社会人になっていると思われます。
ちなみに、娘さんはいません。

また、息子・・・ではないんですが、ペットのチワワと一緒に暮らしています。
今日は朝から本格的な雨☔️わが家の愛犬もお散歩に行けなくてつまらなそう😥#プロ野球 #ジャイアンツ #ソフトバンクホークス #中日ドラゴンズ #楽天イーグルス #西武ライオンズ #オリックス #チワワ #愛犬 #梅雨 #しょぼん pic.twitter.com/6f3u7KrL0N
— 鈴木 康友 (@Yasutomo_76) 2019年6月9日
闘病生活を支えた妻は・・・?
康友さんは赤ちゃんのへその緒から輸血をしたため、菌にさらすわけにはいかないんですね。
これがいわゆる無菌生活。
そのために、奥さんが家の中を清潔に保てるように、ずっと綺麗にしていたそうです。
鈴木さんは、薬の副作用とかも心配だったと言っています。

スポンサーリンク
【2019年】鈴木康友は、現在元気に活動中!
さて、それでは現在の鈴木康友さんはどうなのか?ということについてお話していきます。
康友さん無事闘病生活を乗り越え、元気に活動しています。
闘病後は、このように語っていたそうです。
一度は死を覚悟した身ですから、格好良いことをいうと、自分が何かを残すなら野球しかない、それがこれまで育ててくれた野球界への恩返しだ、と。とはいっても野球しかできることがないんですけどね

ちなみに、主な内容は
- 新座高校のコーチ
- 野球評論家
となっています。
新座高校というのは、さっきも少し解説した通り息子さんの母校。
息子さんがいた高校をどのように引っ張り上げていくのか楽しみですね!

ちなみに、2019年の6月8日にTwitterアカウントを作って元気な様子を発信しています。
今日のツーショット2✌️西武黄金時代の二遊間、カメラマンは控え選手、笑 pic.twitter.com/SVa4wkKsi8
— 鈴木 康友 (@Yasutomo_76) 2019年6月11日

まとめ
鈴木康友の選手時代~現在までの経歴をまとめてきました。
何はともあれ、治療がうまくいって良かったですよね。
今後の活躍に期待していきましょう!
それでは('ω')ノ
スポンサーリンク